謝意:このたびの「忘れえぬ鉄道情景No.2」への掲載に当たり、原稿や掲載写真の選定等をご指導いただいた杉様をはじめ、株式会社エリエイの編集長様やスタッフの皆様方に大変お世話なりましたことを、この場を借りて厚く御礼申し上げます。   
                             並木 運美

まえがき

昭和54年2月と3月号の鉄道ファン誌に「スリットカメラ製作記」、昭和55年1月と2月号の写真工業誌に「鉄道撮影用スリットカメラ」として作品の写真と記事が連載されました。   

 このとき使用したスリットカメラは小生が中学の修学旅行で使用したリコーキャディという小型のハーフサイズカメラを改造したものでした。カメラボディからレンズ部分を取り外し、代わりに中古品で入手した一眼レフのレンズマウントを取り付けることで、元のカメラのレンズの代わりに交換レンズを取り付けられるように改造しました。              

当時はこのような改造カメラを使っていたので、撮影は右から左に通過する列車でしか撮影できず、使用できる交換レンズも55mmと135mmしかありませんでした。        

 その後、使用していたスリットカメラも調子が悪くなり、ついに壊れてしまいましたが、昭和50年代後半の頃はパソコンの時代となったので、どうしてもパソコンの可能性に関心が高まることで、スリットカメラの製作や撮影についてしばらくの間休止の状態が続きました。

また当時のパソコンの性能では写真画質のデータを扱うにはかなり能力不足でしたが、その後、平成の世になってようやくパソコンの高性能化によりパソコンを使ってデジカメやスキャナによる画像を読み込んで、高画質のデータを扱うことができるようになりました。 

そこで昭和の時代に撮影したスリット写真の長いネガについては横に長い画像データのためどうやってパソコンに取り込むかについて研究を重ねていました。また、壊れたスリットカメラについて新しいスリットカメラの製作を開始することにしました。           

新しいスリットカメラは以前のようなハーフサイズカメラを改造したものではなく、マニュアル一眼レフカメラを土台に改造することに決め製作に取り掛かりました。マニュアル一眼レフは以前から小生が使っていたコニカ―オートリフレックスというカメラを改造することにしました。以前のものと特に異なる点はフィルムを巻き取る軸を既存のカメラについているものではなく、新たにカメラの脇に増設してもっと太い軸で巻き取る構造にしたことです。 

新しいスリットカメラを製作した頃、時を同じくしてエプソンより家庭用プリンタでロール紙の使える機種が発売されました。今まではプリンタで印刷してもA4やB4などの定型用紙の左右をつなげてしか作品を制作できなかったものが、ロール紙を使って長い連続したプリントを作成できるようになったのです。                               
 
 これにより長編成の列車をスリットカメラで撮影してネガの画像をスキャナで読み込み、作成した長い画像を10mを越えるような長いロール紙に印刷できるようになり、ついに2009年12月に広島市現代美術館の特別展での出品に至りました。             

 このたび掲載されたプレスアイゼンバーンの「忘れえぬ鉄道情景No.2」のスリットカメラの記事については、一部省略した部分もあるため小生のスリットカメラを製作し撮影してきた活動について全体の流れを知っていただきたいと思い、本書の記事と重なる部分もありますが、再度まえがきとして書かせていただきました。                      

以上、長文のまえがきをここまでお読みいただきありがとうございました。         

       


 
「忘れ得ぬ鉄道情景No.2」の表紙で記事と写真はP41~P48まで掲載されています。 
 
P41の「スリットカメラで撮る鉄道写真」の開始ページです。 
本誌に掲載されたスリット写真は全て高精細の画像です。
是非、手に取って画像の色合いや美しさをご堪能ください。
 
左から489系急行能登、京都市営地下鉄10系、快速「さよならEF55碓氷号」の順 
 
掲載作品の解説と広島市現代美術館出展作品のリストです。