昭和42年4月30日に一眼レフカメラで品川を起点に三浦海岸まで主要な駅等を撮影し、その日やその後調べたホー ムや駅の簡易なイラスト、線路の配線図を手書きで加えて約30ページにわたる写真集を作成しました。パソコンなど ない時代ですので手書き文字やイラストなど拙いものばりで読み難い仕上がりになってしまいましたが、当時を知る資 料としてご活用いただければ幸いです。 |
目 次 |
・表紙 ・三浦半島路線概略図 ・会社沿革 ・品川駅と運賃表その1 ・品川駅と運賃表その2 ・北品川-南馬場、運賃表その3 ・青物横丁-鮫洲 ・立会川-大森海岸 ・平和島-大森町 ・梅屋敷-京浜蒲田、糀谷 ・雑色-六郷土手、大鳥居-穴守稲荷 ・京浜川崎、羽田空港、港町 ・八丁畷-京浜鶴見、鈴木町-東門前 ・花月園前-生麦、産業道路 ・京浜新子安-神奈川新町、小島新田 ・仲木戸-横浜 ・戸部-日ノ出町 ・黄金町-井土ヶ谷 ・弘明寺-屛風ヶ浦 ・杉田-谷津坂 ・金沢文庫-金沢八景 ・追浜-京浜田浦、六浦-神武寺 ・安針塚、京浜逗子-逗子海岸 ・逸見-横須賀中央 ・京浜安浦-堀之内 ・北久里浜、京浜大津-馬堀海岸 ・久里浜-野比、浦賀 ・京浜長沢-津久井浜 ・三浦海岸 ・車内の風景 |
【表紙】 目次に戻る |
【三浦半島路線概略図】 目次に戻る 【会社沿革】 目次に戻る 【品川駅と運賃表その1】 目次に戻る |
【品川駅と運賃表その2】 目次に戻る |
【北品川-南馬場、運賃表その3】 目次に戻る 北馬場駅と南馬場駅は昭和51年に統合され、川を跨ぐ高架駅となり新馬場駅ができた。 |
【青物横丁-鮫洲】 目次に戻る 鮫洲駅の立合川駅寄りに地下道が描かれている。これは平和島駅も同様である。 |
【立会川-大森海岸】 目次に戻る 大森海岸-平和島間が都内で一番最初に高架工事が行われた区間である。この数年後に工事が始まっている。 |
【平和島-大森町】 目次に戻る この環状7号線の踏切は第一京浜国道のすぐ脇で交通渋滞がひどかったため一番最初に高架化工事が行われた。 |
【梅屋敷-京浜蒲田、糀谷】 目次に戻る この数年前に京浜蒲田駅は戦後のバラックのような建物を立て直し新たに跨線橋も作られた。また、空港線の線路は国道を越えて1本は本線の下り線とクロス(太い点線)して上り線につながれていた。このクロスの線路はあまり使われないうちに駅の改築の当時に撤去されていた。なお、昭和62年6月に京浜蒲田をはじめ京浜の付く10駅名を一斉に京急に変更している。 |
【雑色-六郷土手、大鳥居-穴守稲荷】 目次に戻 |
【京浜川崎、羽田空港、港町】 目次に戻る 京浜川崎駅はこの前年に高架化工事を終えていた。海老取川手前の羽田空港駅(初代)は平成5年に廃止されている。 |
【八丁畷-京浜鶴見、鈴木町-東門前】 目次に戻る 鈴木町駅は味の素の工場の駅である。川崎大師方面からは狭軌と標準軌の3線区間となっていて、狭軌の線路のみが工場への引込線へと続いている。八丁畷駅は南武線支線の連絡駅である。写真では川崎方面に並行して鉄橋が見えるが、これは貨物線と国鉄川崎駅との連絡線と思われる。 |
【花月園前-生麦、産業道路】 目次に戻る 産業道路駅の先に分岐線があるが、これは神奈川臨海鉄道へとつながる線路である。産業道路駅にも同様な分岐線があり図では行き止まりのように描かれているが、海岸電気鉄道や鶴見臨港鉄道とのつながりも考えられるが、本当のところはわからない。 |
【京浜新子安-神奈川新町、小島新田】 目次に戻る 小島新田駅の先に線路がたくさん描かれているが、これは塩浜操車場のようである。 |
【仲木戸-横浜】 目次に戻る |
【戸部-日ノ出町】 目次に戻る 日ノ出町駅は基本的に現在もその形を変えていない貴重な駅である。 |
【黄金町-井土ヶ谷】 目次に戻る |
【弘明寺-屛風ヶ浦】 目次に戻る |
【杉田-谷津坂】 目次に戻る 谷津坂駅は昭和57年に能見台駅に改称している。 |
【金沢文庫-金沢八景】 目次に戻る |
【追浜-京浜田浦、六浦-神武寺】 目次に戻る |
【安針塚、京浜逗子-逗子海岸】 目次に戻る 逗子海岸駅の手前は当初はクロスポイントで描かれていたのですが、フォロアーの方から誤りを指摘され、また、当時のポイントの写った写真が確認できたことから渡り線2基に書き換えました。逗子海岸駅は昭和60年に廃止されています。 |
【逸見-横須賀中央】 目次に戻る |
【京浜安浦-堀之内】 目次に戻る 京浜安浦駅は昭和62年に京急安浦駅となり、更に平成16年に県立大学駅に改称している。 |
【新大津-北久里浜、京浜大津-馬堀海岸】 目次に戻る 浦賀駅を遠くから撮影した写真ですが、この当時の浦賀駅を撮影した写真が少なく貴重な資料です。 |
【久里浜-野比、浦賀】 目次に戻る 県道を越えた待避線の写真は当初は単線で描かれていましたが、フォロアーの方から複線であったことや一部簡易な検査ピットがあったとの情報もあり、写真を拡大したたところ架線が2本確認できたので分岐方法等はわかりませんが一応複線に描きなおしました。また、野比駅は平成10年にYRP野比駅に改称されました。 |
【 京浜長沢-津久井浜】 目次に戻る |
【三浦海岸】 目次に戻る |
【車両内部】 目次に戻る |